膠原病も現代病
膠原病の歴史も近年であり1850年ごろから報告がはじまっています。
SLEは1845 年 にFerdinand von Hebraが初めて報告し、強皮症は1846 年に James Startin が初めて報告しました。
慢性関節リウマチは、ルノアール(1841-1919)が有名です。
この時期の食文化の歴史について調べてみました。
砂糖はもともとはインドや東南アジアで作られていましたが、大航海時代の幕開けと共に、ヨーロッパに広まって行きました。
イギリスにおける砂糖の平均消費量は1700年の1人あたり4ポンドから1800年18ポンドに増加し、1850年には36ポンドに、20世紀までには100ポンドを超える量になりました。
1812年からサトウキビではなく、テンサイから砂糖を大量生産することが出来るようになっています。
1838年にフランスで化学肥料が作られるようになり、穀物の生産量が急増していきます。
フランスでは、年間一人当たりの穀物の消費量は、1835年の80キログラムから1905年には2倍の160キログラムになりました。
1804年、砂糖菓子製造業者のニコラ・アペールは、食品の保存法を考案しました。食品を瓶詰めにして熱し、密閉することにより酸素と微生物が入らないようにしました。
さらにニコラ・アペールは、1817年にブリキ製の保存缶を開発しました。
1826年イギリスのジェームズ・シャープは、ガスレンジの特許を取得しました。ガスレンジが大量生産されるようになったのは、遥か後の1851年のロンドン万国博覧会以降でした。
加工食品の製造は、1836年にセーヌ=エ=マルヌ県〔パリ近郊〕のノワジエルでは、アントワーヌ・メニエという人物が製粉所だったところを工場に変え、そこで初の固形のチョコレート(黄色の包装紙に包まれた、かまぼこ形の六本入り)を製造しました。
その後、1847年、イギリスの実業家フランシス・フライは、このチョコレートを今日われわれが知る板状にしました。
同年、ジャン=ロマン・ルフェーヴルと彼の妻ポリーヌ=イザベル・ユティルは、ナンシー〔フランス北部の都市〕にLUという会社を設立し、ナント〔フランス西部の都市〕に移り、そこでビスケットを製造を開始しました。
1847年、アメリカのメイン州では、森林作業員のジョン・カーティスが、アメリカ先住民がトウヒ〔マツ科の常緑針葉樹〕の樹脂で歯を磨いていることにヒントを得て、トウヒの樹脂からチューインガムを作りました。
1875年にアメリカの食品会社のリビーが、コーンビーフの販売を始めました。
19世紀後半には、油、砂糖、バター、コーヒー、茶、チーズは、工業的に大量生産されるようになりました。
砂糖や穀物の大量消費、加工食品、保存食、この辺りに膠原病の答があるはずです。
この記事からは、膠原病の食事療法は、砂糖、穀物、加工食品、保存食品を避けることになります。